2024.06.10

[ショートノベル]ファーストステップ

奇跡は生まれてから、何回あたしの前に起こるんだろう。
 少なくともあたしにとって、その1度目はあの暑い快晴の日だった。

 山間にあった小さな川で遊んでいたあたしと妹のMimiは、上流にあった釣り堀の間違いにより鉄砲水に遭った。
 叫ぶ暇もなく目の前に突然現れた黒い水の壁。一瞬横目に妹の引きつる顔が映って。

 そして次の瞬間現れたのは、「光に包まれた女神の姿」だった。

 *  *  *

「Rin? 忘れ物無い?」
「大丈夫、昨日3回もチェックしたんだから」
「まあ、ならいいけど……」
 そう言いながらお母さんがあたしの胸のネクタイを直してくれる。
「お母さん後から行くけど、そろそろ行かなくて大丈夫?」
「もー、時間は間違えないって」
「まあ……それはそうね……。あー、美容室行ってくればよかった」
 困り顔の母親を見てちょっと吹き出しながら、玄関に向かって靴を履き、もう一度姿見で確認。
 夢に見た学園の制服姿。これが今のあたし。
 思わず笑顔になった。
「……お姉ちゃん、ニヤニヤしてて気持ち悪いよ」
 洗面所から顔を出して、妹のMimiも余計な軽口を叩いてくる。
 受験のときにはあんなに協力してくれたのに、いざ初登校の日にその態度はなんだ。
 ……いや、それもMimiらしいか。
「うるさい、じゃあ行くね」
「はいはい、いってらっしゃい。おみやげ忘れないでね」
「んなもんあるか」

 *  *  *

 家から駅まで自転車をかっ飛ばし12分。電車を乗り継いで43分。
 この芸術芸能学院前駅からは、南の方向に芸学通りという道が学校まで続いていて、まるで花道のように、桜並木があたしたちを出迎えてくれている。
 今日は入学式ということもあって、あたしと同じような学生が、キャアキャアと写真を撮っては喜んでいる。大きな楽器ケースを持っている人もいれば、あれは……竹刀? 他にも色んなマイアイテムを持った人々が笑顔を浮かべながら撮影に励みつつ、学院に向かっていた。
 ――なお、冷静に周囲を伺っているように見えるが、あたしも数分前までバシャバシャ自撮りしまくっていたのは内緒だ。

 残念ながら地元の中学校からこの学院に進んだ人はいない。
 その筋では憧れともいわれる国際芸術芸能学院。狭き門を突破したのはお母さんや妹、そして親友たちの応援によるところが大きいだろう。
 初日から歩きスマホを見つかってはガラが悪いから、後で写真は送ろう、なんて考えながら、花びら舞う道を再び歩き始めた。

 ああ、なんてCreaty日和なんだろう。

 *  *  *

「この学院に進まれる皆さんに、Creatyの話をするのは釈迦に説法かもしれませんが――」
 24分前から学院長Ai先生のありがた〜いお話が先程から続いている。
 いやいや、さすがにCreatyは知ってますって。小学生じゃないんだから。

 あたしたち全ての人間には、感動や快楽を感じるとCreatyという特殊な力を体の中に生み出すことができる。そして中には、Creatyを使って現実に影響を与えることができる人もいたりする。

「ここにいる皆さんは、Creaが高いことだけでなく、日々の鍛錬や学問も同時に――」

 このCreatyを作り出す能力をCreaっていうけれど、体力とか頭の良さと同じように、生まれつきや鍛え方によって人それぞれ違っていて、特に芸術や芸能、あとコミュニケーション能力?なんかが高い人が能力が高いんだって。
 そしてこの国際芸術芸能学院には、芸能人の卵や武道家、小説家とか芸術家、言い換えればCreaが高い子どもたちが集められてるってことになる。

 ってことは、あたしもそのCreaをたくさん持っているんだよね……?
 ……本当、なんであたし受かったんだろう? まあ、受かったことはうれしいけどね。

 *  *  *

 入学式がなんとか終わって、あたしたちは教室に着いた。
 1年生のうちは色んな専門の学生たちがごちゃまぜにクラスに配置される。Creaの能力向上のためには多角的な視点を持つことが重要とかなんとか、だそうで。
 あたしのクラスは1年3組。
 席はまだ決まってないので、騒がしい教室の後ろの角の方にそーっと座ることにする。
 ちょっと疲れてしまったかもしれない、思わず大きく伸びをしたその時、不意に声がした。
「いやー、話長かったよね」
 そう話しかけられて、伸びたまま思わず声の方を振り向く。
 隣の席に座っていた、浅黒い肌が健康的な少女がこちらを見て満面の笑顔を浮かべていた。
「えっと……どちらさまですか?」
「どちらさまですか? ってまだ自己紹介してないけど……」
「え、あはは、そ、そうだよねー」
「ふふふ、やっぱりキミ、面白いね」

 目を細めて笑う彼女は、Ameliaと名乗った。
 歌手を目指し、遥か彼方の地からこの学園に入学してきたという彼女。
 確かに世界的に有名なこの学園には外国人が非常に多いとはいえ、能天気な性格には見えても、たくさん覚悟や努力をして、難関を突破してきたうちの1人なんだろう。

「歌ってさー、世界を変えるパワーがあると思うのよ、そう思わない? 将来的には作詞も作曲も1人でやってみたいんだよねー」
 なぜか右腕に力こぶを作りながら言う彼女は、あたしに質問してきた。
「キミは何になりたくてこの学園に? んー、そうだな……面白そうな人だから、小説家とか、詩人?」
「違うよ、えっと……」
 Ameliaから視線を外すと、ふと1人の少女がこちらを見ていることに気づいた。
「あ、え……?」
「ん? あれ? 誰だろ」
 白色系のブロンドが美しい少女が、クラスの反対側からじっとこちらを見て、というか睨んでる?
「Amelia……、なにかやったの?」
「ひどーい、私じゃないって。見られてるのRinでしょ」
「はーい、静かに!」
 大きな声とともに、先生と思われる、これまたびっくりするくらいの美人がクラスに入ってきた。一気にクラスが静まりかえる。もちろんすぐにあたしもAmeliaも前に向き直った。
「まずは入学おめでとう、諸君。私は担任のMargueriteだ」
 一度授業が始まってしまえば、ここは修練の場、みんなの目が真剣だ。学園の厳しさは一般の高校の比じゃない、初日からそんなことを感じてしまうような空間だ。
「君たちにはCreaの星、『スーパーアイドル』となるべく、今日から邁進してもらう。そのためにこれから重要な事を説明していく。さて、朝配布された封筒を開封したまえ――」

 そう、『スーパーアイドル』。
 それは、Creatyを現実世界で形にし、奇跡を起こすことのできる人の頂点。
 それがこの学園に入学した全員の目標だ。
 あたしも。

 *  *  *

「担任の先生知ってた? 元アイドルだってさ」
「うん、多分知ってる。テレビで観たことあるかも」
 昼休み、ちょっとした木陰になっている中庭のベンチにあたしとAmeliaは陣取った。
 Ameliaはどこから取り出したのか全くわからない、竹刀みたいなびっくりサイズのパンを、それこそ剣を飲み込む大道芸人みたいにむしゃむしゃと食べながら言った。
「アイドルと言えば、この学園でも希望者も多いし、最難関だしね。もうすでに先生の所に相談に行ってる人とかもいるみたい」
「へえ……」
「まあやっぱああいうカッコよくて素敵な人がなるんだろうね」
「うん……」
「何? さっきからしゃべらないね……あ、もしかして!」
「えっ」
「お弁当、忘れた?」
 Ameliaの真剣な顔に、思わず面食らってしまうあたし。
「これ半分食べる?」
 竹刀みたいなパンを半分に叩き割ってから、彼女はニッコリと笑った。

「……キミ」
 その後、棒状のパンにかぶりついていたあたしたちに、声を掛ける人がいた。
 顔を上げた先には、さっきの銀髪ブロンドの美少女が立っていた。
「えっと! あ、あなたは……」
「私はSophia。キミ……どうしてアイドルに?」
 突然の彼女に発言にびっくりするあたしは思わず聞き返す。
「なんで知ってるの?」
 その声に、Sophiaはそっと私の左胸を指差した。いきなりのことで思わず両手で胸をかばう。
「……え、胸!?」
「……アホRin、名札の色でしょ」
 さすがのAmeliaもあたしに助け舟を出した。そう言えばMarguerite先生も言ってたっけ。名札の縁の色が専攻を表しているんだ。
 あたしの色は赤。そう、情熱の、アイドルの赤だ。
 Ameliaは薄緑。歌手専攻の証だ。
 そしてSophiaは……赤と薄緑……!?
「アイドルと歌手のダブル!?」
「出た、ダブル!」

 ダブルとは入学時に能力の優れた一部の学生に認められた複数専攻志望者のことで、取得する必要がある単位、つまり授業数は増えるんだけど、それだけ深くこの学園で勉強することを許されている。
 一般的には憧れの的になる存在だ。

「……正確には声楽家志望」
「あ、そう……」
「で、そんなダブルがアホRinに何の用事なの?」
「……このシリアスなシーンでナチュラルにアホつけるのやめて」
「……キミは、どうしてアイドルに?」
「え?」
「どうしてアイドルに?」
 ずいとRinに迫ってくるSophia。
「え、えっと……」
「どうして?」
「何何何? お前いきなり! Rin困ってるじゃん」
「えっと……」
「私は知りたいの」
「何を?」
「この学院に、どのような想いで、皆が来たのかを」
 その瞬間、春風が吹いて、あたしたちを凪いだ。
「……えっと、あたしのなんかでいいのかな」
 その暖かさにつられてなのか、あたしは、どうしてか知らないけれど、あの日のことを2人に話す気分になっていた。

 *  *  *

 詳しいことは正直覚えてないのだけれど。
 10年近く前のある日、あたしたち家族は山にキャンプに行って、あたしと妹のMimiは小さな河原で遊んでいた。
 その時、すぐ上流にあった釣り堀で事故があり、せき止めていた水が一気に川に流れ出したんだそうだ。
 その水は河原に大量に流れ込み、そしてあたしたちの目の前に黒い壁となって現れた。

 鉄砲水に襲われた次の瞬間、目の前に女神が現れた。
 『職業神:アイドル』とも呼ばれる、芸能界の頂点に立つ存在で、さらにCreatyを現実世界に形にできる、つまり、文字通り奇跡を起こせる『女神』。
 普段はテレビの中でしか観たことのないスーパースター。Legendary idolがたくさんいる芸能界の頂点の中の頂点。噂によると銀河さえ超えてしまえるんじゃないかと言われるほどの能力の持ち主。そんな彼女がなぜか突然あたしたちの前に現れた。
 その後のことは、気絶しちゃったんで覚えてないんだけど……お母さんが駆けつけたときにはあたしたちは河原に寝かせられてたんだって。
 でも、『職業神:アイドル』が現れたのは間違いないと思うんだけどなあ。

 *  *  *

 みんなにそのことを話すと、そんなわけないって馬鹿にされたんで、いつの間にか封印してしまった話。
 学院に入学したこともあってか、この話をなぜかこの2人にはしてしまったんだよね。
「今も、なぜあの時、あたしたちの前に『職業神:アイドル』が現れたのかも覚えてないんだけどさ」
 回想を真剣に聞いてくれていた2人。
「あたしは、『職業神:アイドル』に命を救われたんだ。その時から、まずアイドルっていう存在に憧れるようになって。たくさん調べるうちに、誰かを助けたり、誰かを応援したりしたりする職業だってことにも気づいたんだ」
 また風が吹く。
「……アイドル、最高だと思った」
 その声だけはしっかりと聞こえたのか、Sophiaは、音が聞こえるくらい、ごくっと大きくツバを飲み込んだ。
 お調子者のAmeliaも、ぼうっとした感じでこっちを見て、全く口を挟むことはなかった。さっきまでお気楽極楽だったあたしが急にこんな真面目な話をし始めたからびっくりしたのかもしれない。
「でさ、歌ったり踊ったり、あたしにはまだよくわからないし、心から好きかもわからないんだけど、まー色々なんとか頑張って、結果この学院に滑り込むことができて」
 ちょっと話してて、恥ずかしくなってきたあたしは、少しうつむいた。
「だから、あたしの夢は『職業神:アイドル』からLegendary idolの称号をもらいたい。そして、ついでにお礼言いたいんだよね。あたしと妹、守ってくれてありがとうって」
 再び風が吹いて、あたしの髪をなびかせる。
「それが理由……お、おかしいかな、えへへ……」

「ふぅ……」
 あたしがひとしきり言うと、Sophiaは一息もらした。
「お前、それは失礼だろ! 私なんか『うおー! こいつ夢でけー!』とか思ってメチャクチャ感動してたのにさ!」
 思わずAmeliaが割って入るのも構わず、Sophiaは続ける。
「合格」
「……へ?」
「まず、キミは大きな勘違いをしている」
 またあたしを指差すSophia。
「勘違い?」
「この学院は『滑り込め』るような、生易しい組織じゃない」
 Sophiaの眼光は鋭い。
「キミには力がある。……キミが気づいてないだけ」
「あたしに、力が……ある?」
「そうでなかったら、ここにキミはいない」
 えっと……褒めてくれてるんだよ、ね?
 ……そんなこと言われたの、はじめてだ。
「うんうん、私もそう思うね。今日知りあったばっかりだけどさ、Rinには『何か』あるよ。全然おかしくないよ、Rin。みんなこの学園にいるならLegendary idolを目指すんだ」
 いきなり調子よくAmeliaが雄弁に語り始める。こいつめ〜。
 ……でもきっとそうだ。
 理由はどうあれAmeliaの言う通り、Ameliaも、そしてきっとSophiaも、Legendary idolを目指している。あたしのことを、まだちょっとかもしれないけど、認めてくれる人たち。

 その時、なんだか、心臓に流れ込む血の熱さを感じるような、自分の中に、何かが生まれるような気分だった。
 ああ、なんて気持ちがいいんだろう。話して良かったな。この2人に。

「キミは合格。よって今日からキミは私のチームメイト」
「……は?」
 不意打ちをされ、あたしは思わずものすごーく間抜けな声を出してしまった。
「仕方ない、Ameliaも補欠合格」
「……は?」
「これでアイドルチームができたので、学院に申請する」
 何を突然言い始めてるんだろう、このSophiaって子は。
「なにお前勝手に……、って、さてはユニット登録のために喧嘩ふっかけてきたんだな?」

 学園への同好会申請。ユニット登録とも言われているそれは、学園に会場や教室、備品などを貸してもらったり、活動における一部の費用を負担してもらえるような、つまり小型の部活動というか、同好会みたいに学園にグループを認めてもらう制度のこと。

「誰も喧嘩などふっかけていない」
「そもそもなんで私があんたのグループに入ることになってんの……」
「Rinのついで」
「むっかー! よりにもよって、ついでとは何よついでとは」
 竹刀みたいなパンをブンブンと振り回しながらAmeliaが吠える。
「ちょ、Ameちゃん、抑えて抑えて」
「Ameちゃんって、Rinも関西のオバちゃんじゃないんだから」
「それはAmeちゃん↑」
「言い方正しくしてもお前は絶対許さんからな」
「次はユニット名か……」
「……次はじゃねえ! 話を勝手に前に進めんな!」
「あー! 2人とも、昼休み終わるまであと2分20秒だよ!」
「はあ、なにぃー! まだパン半分食べてないぞ!」
「仕方ない、私も手伝おう」
 こくりと頷くSophia。Ameliaは睨み、一瞥し、そして手に持ったパンを膝でバキッと割って手渡す。
「あーもう、しゃあねえ、お前も食え! Rin、Sophia、教室に向かいながら食べるよ!」
「えええええ! 待ってよAmeちゃん……! もごもご」
「……コーンブレッド。もごもご」

 こうして、あたしやAmelia、Sophia、そしてこれから仲間になるたくさんのみんなとのアイドル活動の日々が、始まったのだ。

 *  *  *

 そのちょうど1分後。
 3人の立ち去った後、温かい春風は、瞬間竜巻となり、桜吹雪をはるか上空に巻き上げる。
 まるで、新たな巨大な力の誕生のように。

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